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倫理研究所の創立者である丸山敏雄氏は福岡県の上毛郡で明治25年に誕生しました。現在は豊前市と名前を変えていますが、当時は合河村天和と呼ばれていた土地です。生まれた時には上に三人、農家の四男でした。幼年期に過ごしていた家屋は平成18年に復元されています。茅葺きの屋根で囲炉裏があり、土間があり、当時の生活を思わせてくれる姿のまま、しっかりと復元されているそうです。

丸山氏の父親は近隣からの信頼が厚く、農家として百姓仕事をしながらも、人から相談事を持ちかけられることが多かったそうです。浄土真宗を信仰していたのですが、仕事のかたわら熱心に布教活動も行っていました。丸山氏も幼少の頃は父親に連れられ信徒の集まりに参加したり、自宅近くの神社の前を通るときは必ずお辞儀をさせられたりと、とにかく信仰心を持つよう徹底的に厳しいしつけを受けたようです。
丸山氏は、家が農家だったことから、父親からは勉強よりも家の手伝いに集中するように言われます。家では勉強ができない分、学校では集中して一時間一時間を大切にしたため、学校の成績は非常に優秀だったそうです。
高等小学校を卒業した後は担任の勧めもあり、そのまま郡立准教員養成所に進むことになりました。父親は僧侶になってほしいと願っていたそうですが、教員をめざし向学に励んだ丸山氏は、16歳の時にはすでに代用教員として生徒を教えるほどでした。17歳になると師範学校に進学し非常に優秀な成績を修めただけでなく、穏やかで優しい人柄と高い向上心を持ち、周りから人望を集めていました。

師範学校卒業後は中学校の教師となり、その後は師範学校の教頭にもなりました。教育者としての人生は順調そのものにみえましたが、37歳の時に転機が訪れます。赴任先の長崎はクリスチャンも多く、一部の学生達の高い信仰心をまざまざと見せつけられた丸山氏は、自分が教えている日本史や、研究している日本古代史にも同じくらいの疑いのない信念をもたなくてはいけないと思い、もう一度大学生になって勉強しようと決断するのでした。
広島文理科大学へ入学し猛勉強した丸山氏でしたが、ひとつの壁にぶつかります。古典に記されている数々の奇跡的な出来事をどうしても解明できなかったからです。学問だけでは追い求めていた信念を得ることはできないと考えた丸山氏は、卒業後は内定していた校長職を蹴って、ひとのみち教団の教師を志願します。ひとのみち教団の教典は教育勅語であり、天照大神を信仰していました。それは教師であり日本古代史の研究者でもあった丸山氏にとって受け入れやすく、また、教団が行う数々の救済に奇跡の一端を垣間見たことが大きく心を動かしました。当時は社会的な地位や名誉もありましたが、名誉心を捨てるように教祖から指導された丸山氏は、すべてを投げ捨てて宗教修行に励みました。

しかし、当時は太平洋戦争へと進んでいく時代。影響力の大きい新興の宗教団体は政府の思想統制の邪魔になると判断され、目をつけられていました。そんな中、不敬罪というあらぬ罪状で教団幹部が逮捕されるのです。すでに幹部として活躍していた丸山氏も逮捕され、拷問を受けたり、長い裁判を闘ったりと苦難に直面することになります。国体を疑わず、誰よりも日本という国の行く末を慮って活動してきた丸山氏にとって、天皇・神宮への不敬というあらぬ罪を着せられた日々は、屈辱的な苦しみの連続でした。宗教活動を深く反省し、亡き両親へ懺悔する日々を送る中、これまで以上に真理とは何かを探究し続けました。このときの経験が後の倫理研究所の設立に、大きく影響することになります。

やがて終戦を迎えた昭和20年、焦土と化した日本をいち早く再建することを期して「夫婦道」という論文の執筆にとりかかります。それは、戦後荒んでゆく倫理・道徳観を取り戻し、人々の生活を豊かにすることが自分に課せられた使命であるとする、丸山氏の決意の表れでした。 生活改善運動を本格化するべく、昭和22年には新世会(後に倫理研究と改称)を発足し、社団法人の認可を受けました。宗教に頼らずとも「守れば必ず幸福になる」生活法則があり、それは日本古来の思想と決して離れるものではなく日本の再建には欠かせないとする丸山氏の考えは、人々の心に響きました。教えを請う人一人ひとりに丁寧な指導を続け、考えを学ぶだけではなく、実生活で実践することを勧めました。 少しずつ賛同者も増え続け、組織として活動も充実しはじめ、全てが順調にみえましたが、不眠不休の活動を続けていた丸山氏の体は限界に達しようとしていました。昭和26年には夫人と一緒に伊勢神宮を参拝したのですが、そのときは倫理研究所の経済的確立や、所員の心境が向上するようにと願い、そのためなら自分の身を犠牲にしてもよいと祈願したのです。

最期の時には食事も満足にできず、声も上手く出せなかったそうです。しかし、最期を迎えるその時まで読書や執筆を欠かさず、世の中の安寧を願い、太陽を拝み続けました。そんな丸山敏雄氏の波瀾万丈の人生、そこから発見された生活法則が倫理研究所には今も遺され、また新しい人達によって引き継がれています。

一般社団法人 倫理研究所
http://www.rinri-jpn.or.jp/

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